逃がさない

the bitters endのライブで
ステージからお客さん皆を見ていて、
例えば他のバンドのように
拳を突き上げたり、
2拍4拍のところで「ウォイ!ウォイ!」ってなったりしない。

それは僕らがやっぱり下手なのかなってずっと思ってた。
だけど、ステージを降りると皆口々に褒めてくれて、
「なんでかなー」って考えてた。

あー、結構僕って疑り深いから、
「もしかしたら、皆社交辞令で良かったよーって言ってくれてるだけなんかな」
って情けないこと考えたりもしてた。

でも、
どう考えても嘘をついてる目で言ってない人がいて、
それが最近やたら顕著で、
なんなんだろうって思ってた。

まぁ、音楽性だったり、実際のところ僕のギターは下手くそで危なっかしいし、
それもそうだろうと思うんだけど、

とてもじっくり聴いてくれてるんだな、と思うことにした。
うん、これ今の時点の結論。

僕の持論でさ、
天然の人に「天然でしょー?」って聞くと、
全否定する。
なかには怒る人もいる。
とても人間臭くて僕はすきだなぁって思うんだけど。

僕もそうだけど、
本当のことを言われるのは、
とても嫌なもんだよ。

自分でも分かってるんだけど、
なんとなく、誰かとの会話や
仕事やなにかしなきゃいけないことで気を紛らせて
見ないようにしてる部分ってさ、
不意に人に問い質されると、
とても嫌な気分になる。
嫌な気分ってのは、違うか。

なんだろ、とても恥ずかしいような、
情けないような、
申し訳ないような。

僕はそういう時にごまかしてしまう癖があるし、
それでいろんな人を傷つけてしまったし、
それによって自分が痛い目に遭ったことも何度もある。
それでいて、他人のそういう所にはすぐ気付いてしまって
こともあろうにそれを言ってしまうんだな。
一言多いと言われるよ、よく。

僕の歌なんてのは、
そういう自分の嫌なところと向き合う作業の中で出て来たものだったりするから、
如何に綺麗に仕上げるかってのが、僕のセンスでもあると思うんだ。

だから、もし僕が本当に人間の普遍的な問題を歌ってるとして、
それが聴く人全てに共通し、共感出来るものだとしたら、
the bitters endの歌の善し悪しは、その僕らのオブラートの包み方次第ってことなんだろうな。

だからきっと僕らの音楽を聴いた人は、
人によっては目を瞑って体を揺らしたり、
ただ身じろぎもせず立っていたりするんだろうなって思った。

例えホールにお客さんが一人しかいなくても、
逆に大きな会場で僕らの歌を聴きに何人もの人が来たとしても、
一人一人の心に刻み付けると言う意味では、全く何も変わらないんだ。

僕は僕の心の澱を裂いてぶちまける。
多分、僕はそういう点では優しくないよ。

僕らの歌を聴くに耐えきれないと思ったら、
逃げ出しても構わないよ。
でもいつかどこかで、同じことになるさ。

逃がさないけどね♪

うたうたい 堺輝

うたうたい堺輝の綴るしょーもないアレコレや ライブスケジュールなど

0コメント

  • 1000 / 1000