三島から帰宅して仮眠を取り、
もじゃと新宿で昼過ぎに打ち合わせ。
新宿のお気に入りの喫茶店で
最近の話とかしたりして
過ごした。
僕は彼が好きだなぁ。
その帰りに最寄り駅の近くの花屋さんの前を通りかかったら
なんともかわいらしい花を見つけた。
ひとめぼれして買ってしまったよ。
もじゃと新宿で昼過ぎに打ち合わせ。
新宿のお気に入りの喫茶店で
最近の話とかしたりして
過ごした。
僕は彼が好きだなぁ。
その帰りに最寄り駅の近くの花屋さんの前を通りかかったら
なんともかわいらしい花を見つけた。
ひとめぼれして買ってしまったよ。
僕はね、桜よりも梅の方が好きなんだ。
確かに桜も綺麗だけど、
梅の方がなんというか、奥ゆかしいというか。
慎ましいというか。
実家に梅の木があったのもあるかも。
あ、桜もあったな、そういやw
なんにせよ、部屋に花があるというのが好きで、
鉢植を買ってしまったの。しかも、これ500円だよ。
なにかをちょっと我慢すりゃいいのさ。
写真では分からないけど、
黄色い花をつけてる。
そういえばここのところ、
花を愛でることもなかったかな。
ちょっと前は
それなりにいろんなところに行って
いろんなものを見て、
いろんなことを感じてた。
今よりもっとね。
なんか最近それが少なくなってた気がする。
忙しさを理由にしてることが多かったな。
別にそれを否定するつもりは全然ないんだけど、
僕の理想じゃない。
妥協ではなく、現実に生活するものとして受け入れてる感じかな。
分かってもらえるかなぁ。
でもやっぱり
忙しいけど、そういう時間も作るっていうのが理想。
むしろ、時間に余裕がないからこそ、
そういう時間を作って
心に余裕を持っていたいんだ。
ギターの練習や曲作りがなかなか進まなかったのもそのせいかも。
僕に今必要なのは裏切らない技術。
歌唱力だったり、ギターだったり。
僕の世界を伝える上で、もう少し必要。
だけど、僕の世界を創り続けることももっと必要。
だって伝えたいものがなけりゃ、いくら技術があったって無駄だ。
本当の知恵とは、使ってこそ意味がある。
技術も然り。
だから同時に必要。
常に自分磨き。
自分以外の誰が僕を磨くっていうんだ。
本だったり、
映画だったり、
音楽だったり、
景色だったり、
怠惰な時間だったり、
ほんのささいな一瞬だったり。
全てが僕を創ってきた。
きっとこれからも創っていくもの。
それをなんとなく、忘れてた。
僕のうたって、この前思ったんだけど、
インスタントカメラで撮った写真を現像して
それを一枚ずつアルバムに貼付ける作業に似てるなって思ったんだよ。
同じカメラ、同じアングルでも
撮る人が違えば何かがきっと違う。
それをアルバムに貼付けるレイアウトのセンスだって
人それぞれ。
だからCDの作品のことを「アルバム」って言うのかな、
なんて考えたり。
だから恋人がいたって
失恋の歌も歌うし、
とても満たされた生活を送っていても
目に見えないものを追い求める歌だってうたう。
それは、僕が「綺麗だ」と思って撮っておいた写真を
アルバムに貼って、それを皆に見せているだけだからなんだよ。
それに対して共感するか、拒絶するか、無関心かは強要しない。
ただ、本当のものを撮り続けるつもり。
そこからは、任せたよ。
思い出は、心の中にあればいい。
歌にして綺麗にしておく生き方をしてるだけ。
それが僕にとっての歌なのかもなって。
なんかそんなことを花屋の前で思ったんだ。
だから、僕はこの黄色い梅の花の鉢植を買うことにした。
僕はそういう偶然のような必然を、よしとする人間なもんでね。
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