例えば今日みたいな


どうも、小さい頃
架空の友人が4人いたあきらです、
こんばんは。

お母さん、陽気に育ててくれてありがとう。

春一番吹いたね。


月日が経つのが早い早いと言うけれど、
それもそのはず。

1歳の1年は人生そのもの。
26歳の1年は26分の1。
一つ年をとる毎に
いや、一日過ごすうちに
一秒の長さすら
一秒じゃなくなってるのかも。


人間の身体は
基本的に25時間サイクルで出来てる、
という話を聞いたことがある。

その空白の一時間を
人は睡眠したり
食事をしたり
何かを考えたりする中で
上手く誤魔化してるらしい。

それを上手く出来なかった時に
体調崩しちゃったりするらしい。

怠惰な毎日も
人間が上手く生きる為に必要なのかも。

果たして
僕の一時間はどこに消えたんだろう。


昨夜
少し眠れなくて
うんと楽しいことを考えようとして
むしろ寝付けなくなった瞬間だろうか。

それとも
駅のホームで急行電車を逃した時なのか。

春一番の風で
オブラートに包んだままの記憶を眺めてる間か。


どっちにしたって
きっと明日僕がいなくなったって
朝は来るし
小春日和の日曜日なだけだろう。

残された時間が限られてるとは思わない。

なんたって
僕はハッピーエンドが嫌いだから。

もし僕が映画をつくるとしたら
ホントになんでもないようなエンディングにするつもり。
例えば今日みたいな。

芸術は真実を映さなきゃならない。
真実は平凡で
時に醜さも感じる。

多くの人が平凡さを
理想としないという点において。


調子に乗って薄着し過ぎたみたい。
少し寒い。



うたうたい 堺輝

うたうたい堺輝の綴るしょーもないアレコレや ライブスケジュールなど

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