ご飯を食べるということ

よく言うじゃない。
「○○でメシを食えるようになりたいです」って。
生業ってことね。
自分がやりたいこと=仕事
ってなれば。。。ってさ。

ウチらのような夢を追いかけてる人間には、
所謂「ご飯を食べられてない人間」が周りにまだ多くて、
それでもなんとか一生懸命やってる人間がいるのよ。

もちろんそこでプロとアマチュアを区切るってのが一番単純かもしれない。
けど、同じくらいよく聞くのが
「アマチュアでもお金をもらったらそれはプロ」って話。

うんうん。と頷ける。
でもそれってやっぱり「プロ意識」っていう意識的な部分の話が色濃くなって、
実際なんだか実感湧かないのも事実。

確かに「プロ意識」ってのは存分に持ってるし、
むしろ持ってなきゃいけないものであると思うのよ。

でもさ、よく考えてみ。
三大欲求と呼ばれる中に「食べること」はあるんだよ。
睡眠欲は最悪どこでも寝れる。
性欲なんて相手がいなきゃ実現しないし、したきゃ一人で満たしゃいい。

けど、食欲は無理だろー。
どう考えても我慢できねーもん。

いや、粗食に耐えるとかそんな次元じゃなくてさ。
モノを口にしないのは無理だろー。

やっぱりそれが「食べること=生活すること」ってなると思うんだよね。
動物として生きる為にご飯を食べる。

要はそれをどうやって食べるか。
今の世、現実問題としてそれはお金がないと食べれないわけですよ、
現金な話ですが。

そこでやはりリアルな問題として
「やりたいこと」をやって「ご飯を食べる」というのが
如何にすごいことなのかに気付くのよ。

そりゃまだ知名度が低い。
自分のやりたいことで得た収益で、
家賃払ったり、光熱費払ったり、
食材買ったり、税金払ったり、
全部出来りゃいいけど。
自分だけならまだしも、
誰かを守らなきゃいけない立場になればそれは確実に背負うものが大きくなる。
そりゃ守ってやりたいわさ。
守れないのであればそれはお別れなワケ。どちらか、とね。
どちらも守れればそんなに幸せな話はないよ。

いやいや、世間はそんなに甘くない。
だからやりたくないこともやって、
小遣い稼いで自分のやりたいことに投資して、ギリギリで頑張る。
僕がアルバイトを「仕事」と呼ばないのはソコ。
アルバイトはあくまで小遣い稼ぎであって、仕事じゃない。
僕にとっての仕事はあの8時間の拘束時間以外全部だ。
睡魔なんてなくなっちゃえって思うのもそれが仕事の時間だから。

だから僕もまだ、そういう意味で音楽でご飯を食えてない。



と、思ってた。

本当にそうか?
って今日初めて思った。

というのもね、
今日四ッ谷でライブをやりました。

いろいろスケジュールの関係とかで、僕と祖父江くんだけのステージ。
しかも出番が平日水曜の21:20

そりゃお客さん来ないわなー。
僕らが呼べたのは3人だけだった。
お察しの通り、自腹なワケです。

でもね、ステージはすごくいいものを披露出来たの。
フロアには僕らを知る3人以外、全て僕らを初めて見る人たち。
バンド形態の僕らを知らない人たち。

だけど、皆僕らの演奏をじっと聴いててくれて、
最後の神様を歌ったときには、
涙を流してくれてる人もいた。

届いてるって実感出来る、とてもいいステージだったんだよ。
確かに胃がキリキリ痛むし。サラダや6時13分やら、精神力の要る曲が多かった。

基本的に全ての人に受け容れられる曲じゃないのも知ってる。

だけど、僕らがステージに居た30分間、とてもまっすぐな目で僕らを見ててくれてた。

あんだけ納得のいくステージが出来て自腹切るのかぁ、
ってほんとに悔しかった。

でも、僕らはその3人のお客さんがチケット代を払ってくれたおかげで
その分のノルマは払わなくて済んだんだって思ったのよ。

だってそうでしょ?
もし1人も僕らのチケットを買ってくれてなかったら、
その分も払わなきゃいけなかったんだから。
要は、言葉は悪いかもしんないけど、
その分で僕らは今日「ご飯が食べられた」んだよ!

その3人のお客さんが払ってくれたから僕はちょっとおいしいご飯が食べられたんだよ!

凄いと思わない?

それ考えたら、今日やってよかったーってほんとに思った。
絶対この空間をモノにしてやるって思ってたし。
その3人の為にも。
僕らに投資してくれてるようなもんだからね。

涙が出るかと思った。

まだまだいけると思った、四ッ谷からの帰り道でした。

皆、おやすみ。

うたうたい 堺輝

うたうたい堺輝の綴るしょーもないアレコレや ライブスケジュールなど

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